300系新幹線、静態保存されているのは、試作車が1両のみ!

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おはようございます。こおろぎです。

かつて、東海道・山陽新幹線で、300系車両が走っていました。0系、100系の後継車両として、1990年に試作車が登場して、量産車が1992年に登場。そして、1998年までに、なんと70編成が作られました。JR東海に61本、JR西日本に9本があったほどです。その300系は、登場したときと、晩年のころは、パンタなどに変化が生じました。

300系、1990年に登場した時は、パンタが5つもあって、カバーのかたちや、ケーブルヘッドの形も異なっていました。その後、92年に量産車が登場してからは、パンタが3つとなりました。試作車においては、量産化改造を経て、パンタが3つになりました。その際、3号車と、15号車のパンタが、カバーごと撤去され、屋根には跡が残りました。

その後、量産車においても、300系のパンタは、3つであったのを、2つに減らすこととなりました。9号車にあった、パンタがカバーごと撤去されて、6号車、12号車のものを使用するようになりました。パンタが9号車もあった時は、博多行きのときが9号車、12号車を使用、東京行きのときは6号車と9号車を使用、つまり、9号車は常時使用でもあったのです。

新幹線の行先の方向にあわせて、パンタ切り替えスイッチも使用されましたが、9号車のパンタを撤去したことで、6号車、12号車の固定使用となったため、パンタ切り替えスイッチは使用されなくなったのです。

パンタを撤去したため、屋根にはカバーとパンタのあとが歯型のごとく残っていて、さらに、カバーは8号車にもまたがっているので、その8号車の屋根にも、カバーの台座のつめがのこっています。パンタがあった部分には、特高圧引き通しケーブルが設置されていますが、ほかの車両とはちょっと異なった雰囲気をしているのが特徴です。

300系の、J30編成以降からは、9号車にパンタなしの状態で登場しており、カバーもパンタも新造したときからないので、きれいな姿で登場しています。さらに、1998年に登場したJ58編成は、700系を見据えてか、屋根のケーブルが直ジョイント化されているのも特徴です。そして、300系は1998年に製造を終了します。

1999年に、700系が登場して、パンタがシングルアームとなったのをきっかけに、300系も、従来の菱形パンタであったのを、シングルアームへと取り替えることとなりました。改造では、パンタをカバーごと撤去して、シングルアーム式のものを乗せ、サイドカバーも取り付けています。そのためか、屋根にはカバーの跡が歯型のように残っています。

300系は、パンタを載せ替えてからも地道に活躍を続けていましたが、2007年に、N700系が登場すると、徐々に廃車が始まっていき、最終的に、2012年に引退、全車両が廃車となりました。300系は、廃車後は解体も進められ、最終的に残ったのは、リニア・鉄道館に保存された、試作車の16号車と、量産車の、J21編成の先頭車。その後、700系の試作車が保存されることとなり、量産車の先頭車は搬出され、その後浜松工場で取り壊しがされました。

300系は、試作車と量産車が保存されていましたが、最終的に、300系の保存車は試作車のみで充分という結論となったようです。このため、70編成あった300系のなかで保存されているのは、J1編成の先頭車のみとなったのです。700系においても、保存されているのは、なんと試作車の1両のみ。E351系が、全車両解体されてしまったことを考慮すると、いろいろ考えさせられそうです。

それでは、また。

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