300系新幹線、引退後も静態保存車を見られるのは、試作車のみしかないだろう。

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おはようございます。こおろぎです。

かつて、東海道新幹線に、300系新幹線が走っていました。その300系は、1992年にデビューして、のぞみ号で活躍していましたが、数がだんだん増えていくにつれて、ひかり号でも走るようになりました。最高速度は270キロで、のぞみのときに、その270キロを発揮していましたが、東海道新幹線から、0系と、100系が引退してしまうと、こだま、ひかりも300系となったため、最高速度が270キロを出せるようになったのです。

300系は、車体もアルミ合金製となったことから、軽量化も実現できて、パンタも少なくなったことから、最高速度が速くなりましたが、乗り心地においては、あまりいいとはいえなかったかもしれません。パンタにも起因している部分があって、当初、6号車、9号車、12号車に、パンタが設置されていました。

しかし、1995年以降になると、300系のパンタは、6号車、12号車のみとなり、9号車にあったパンタは、カバーごと撤去されてしまいます。撤去された部分には、新しいケーブルヘッドが設置されていますが、なぜ、9号車のパンタが撤去されたのかというと、そのパンタや、カバーが、トンネルのなかで揺れる原因にもなったのです。

パンタが普段2つしか使われていないことと、乗り心地の改善といったことから、9号車のパンタ、そして、パンタカバーは撤去されて、すっかりなくなりました。9号車の屋根には、パンタカバーのつめが残っているほか、8号車にも、わずかにカバーのつめが残っています。なお、300系は、J30編成以降は、新造したときから、パンタがなかったので、すっきりした屋根になっています。

そして、300系は、1999年になると、700系と同じシングルアームのものに取り替えられていき、それまでの菱形のパンタと、パンタカバーを撤去して、シングルアームのものに載せ替えがされました。シングルアームになってからは、300系は特に改造されることなく、2012年まで活躍を続けました。

300系においては、2001年になると、こだま号での運用が増えてきて、100系が少しずつ取り替えられていきました。2003年に、100系が引退すると、ひかり、こだまでの運用をして、活躍を続けていましたが、2007年になると、新鋭車両の、N700系が登場します。

そのN700系が、300系を取り替えていくこととなり、300系、初期の車両が、2007年に少しずつ廃車回送されていくこととなりました。300系においては、少しずつ廃車がすすめられて、2012年に、300系は引退、全車両が廃車になりました。登場から、ちょうど20年の節目、300系は、新鋭車両のN700系にバトンを渡すこととなりました。

引退後、300系はほとんどが解体されて、リニア鉄道館に、試作車のJ1編成の、16号車が保存されていて、その姿を見ることができます。なお、量産車においては、J46編成の先頭車が、関西新幹線サービックで保管されていますが、非公開になっています。そのため、300系の姿でまともに見られるのは、試作車のみ。

試作車と量産車は、車体の形も違いがあって、運転台の窓の形、そして、前照灯の形に、そして、窓の形、車体のすそのふくらみなど、いろいろ見ることができます。300系は、まともにその姿を見られるのは、試作車のみであり、あとはみんな解体されてスクラップにされました。

このこともあってか、JR東日本では、車両の保存方針が変わり、スーパーあずさとして活躍した、E351系が、引退後は、60両すべて取り壊されてしまいました。先行試作車として登場した2編成、量産された3編成と、全部で5編成がありましたが、E351系は保存されずに、すべて取り壊されて、姿を消しました。このこともあってか、215系、251系といった電車も、すべて解体されてしまうこととなったのです。

なお、JR東日本の鉄道車両の解体を請け負っているのが、直富商事であり、ほぼ専属の感じのようになっています。ちょっと気になるのが、郡山で解体をする業者は、鉄道車両をきれいにしっかりばらすようにしていますが、長野での解体では、内装はほとんどそのままであることが多く、解体のしかたも、目に余ってしまう光景になることも。

なお、東海道新幹線の解体も請け負っており、浜松工場で解体をすることもあります。直富商事、静岡県でも大活躍です。新幹線の300系は、すべてが引退したこともあって、現役で活躍している車両、現在は1両もありません。リニア鉄道館では、試作車が1両保管されています。

それでは、また。

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