14系の客車、スハネフ14-101は、もとは24系であった。

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おはようございます。こおろぎです。

東海道線には、かつて寝台特急が走っていました。そのなかに、スハネフ14-101があって、「さくら」「みずほ」「富士」「はやぶさ」で運転されました。実は、このスハネフ14-101、もとは24系のオハネフ24として使用されていました。なぜなら、スハネフ14が不足したため、それを補うために、昭和52年に大宮工場で改造したものです。

大宮工場では、オハネフ24に電源装置や、ディーゼルエンジンといったものを取り付けまして、さらに引き通し回路の変更も行いました。そして、14系には必ず設けられている排気筒も設置されました。外観上においては、オリジナルのスハネフ14とは見分けがつきにくいものの、車端部の手すりの位置が微妙に違うのが特徴です。

スハネフ14-101は、もとはオハネフ24-16であり、これを見事14系と同じように改造しており、さくら、みずほ編成に連結して走ったのは、見事なものです。いっぽう、兄弟にスハネフ14-102、103もあったのですが、103においては、カートレインで使用されつつも、1998年に廃車されることとなりました。あとの102においては、特急「紀伊」に使用され、1982年にディーゼル機関車が連結しようとして、衝突事故を起こしてしまいました。衝突されてしまったスハネフ14-102は大破し、廃車になってしまいました。

スハネフ14-102は、衝突によって、車掌室の部分がへこみ、床下の電源装置が落下したり、台車が弾き飛ばされたり、分電盤などが出てしまったり、寝台がはみだしてしまったり、とにかく外観も車内も傷んでしまいます。修繕はできないほど変形してしまい、その後廃車となっています。

改造からわずか5年であったので、短命で終わってしまったこととなります。大破してしまうと、台枠も変形してしまうため、安全に走れない懸念もあったことから、廃車後は解体されました。101においては、JR九州に引き継がれ、熊本に配置、おもに「さくら」「みずほ」で使用されました。国鉄時代には寝台の2段化改造もなされています。

スハネフ14ー101は、「みずほ」廃止後は、引き続き「さくら」で運転して、このとき長崎に転属します。1999年には、「さくら」だけでなく「富士」の運用もするようになります。「さくら」と「はやぶさ」が併結運転することとなり、客車は「富士」でも使用されるため、スハネフ14-101は「富士」では初めての使用ではなかろうか?と思ったほど。

長いこと「さくら」で活躍してくれましたが、2005年、「さくら」が廃止されまして、スハネフ14-101は、ほかの14系ともに、「富士」「はやぶさ」で使用されるようになりました。そして、熊本に転属。なお、24系が使用されなくなり、ほかのオハネ25、オハネフ25、カニ24は廃車になり、一部は「なは」で運転するようになりました。ロビーカーにおいては、運用離脱、廃車されてなくなりました。

ロビーカーは、オシ14、オハネ14を改造して作られましたが、老朽化は否めなかったかもしれません。特に、オハネ14を改造したものには、昭和46年製造のオハネ14-2、オハネ14-4も含まれているからです。ロビーカーは現在はすべて解体されており、現存していません。

スハネフ14-101においては「富士」「はやぶさ」で使用され、2009年に廃止されるまで活躍を続けてくれましたが、2013年に廃車となり、最後は解体されて姿を消していきました。スハネフ14ー101は、最後の頃は車内の寝台が、星空っぽい雰囲気の生地に変更されていて、かなりインパクトになった車両です。

かつては当たり前のように見ることのできた寝台特急。青い客車は、印象深い車両です。

それでは、また。

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