丹那トンネルの中には、微妙にS字カーブが設けられている。

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おはようございます。こおろぎです。

東海道線で、熱海と函南の間には、非常に長い丹那トンネルが設けられています。この丹那トンネルができる前は、裾野、御殿場、山北を経由するようになっていて、御殿場線が、昔は東海道線であったのです。勾配がきついため、電車の運転には一苦労。そして、丹那トンネルが作られることとなりました。

この丹那トンネルは、世紀の難工事となり、トンネルを掘るのは、困難を極めました。なぜなら、湧水が起きるためで、掘っている最中の湧き水が、工事の妨げとなったので、苦労を極めてしまったのです。それに、トンネルを掘っている最中には、北伊豆地震も起きて、当初、まっすぐに作る予定であったのが、坑道が2メートルにわたり、南北にずれてしまいました。

丹那断層のところでの地震が起きたので、坑道がずれてしまい、これによって、トンネルを作り直さなければならなくなりました。丹那トンネルは、そのずれを解消するために、坑道をつなぎあわせて、その部分には、S字カーブが設けられているのです。微妙な感じにS字カーブがあることと、トンネルのなかが暗いため、乗っていても、S字カーブを見つけるのは難しいかも。

丹那トンネルの工事は、かなりの困難であったものの、1934年に、無事に開通することができました。かなりの年月がかかり、犠牲者も出てしまったため、難工事であることを感じさせられます。ちなみに、丹那トンネルは、丹那盆地の下にトンネルが設けられて、かつては丹那盆地、稲作、わさび栽培が盛んとなっていました。

トンネルの工事によって、水枯れがおきてしまい、稲作、わさび栽培といったことができなくなり、わさび田はなくなってしまいました。そこで、副業であった酪農が、その後になんと、大成功を収めることとなりました。丹那トンネルによって、稲作などが衰退してしまいましたが、丹那牛乳においては、さかんとなり、いまでは主力産業となりました。

丹那トンネルは、稲作とわさび田においてデメリットが起きてしまったものの、電車の利便性が良くなったことと、酪農がさかんになったことなど、いろいろ複雑な歴史がありますが、丹那盆地の産業が栄えてほしいと改めて感じます。

それでは、また。

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