こんにちは、こおろぎです。
身延線には、かつて123系が走っていました。その中に、クモハ123-5145がありますが、もとはクモハ123-45であり、昭和62年に登場して、身延線に導入されました。富士~甲府の間を走り、その後、富士~西富士宮での運用も増加。
平成元年には、冷房を取り付ける工事を行って、5045に番号が改められます。しかし、5045での運用はとても短く、平成2年には、正面に貫通扉を取り付ける改造を行い、5145となりました。なぜ、貫通扉をつけたのかというと…
600番台と連結して走れるようにしたため。この600番台というのは、クモヤ145を改造したもので、最初から貫通扉が設置されていて、123系に改造の際、幌で貫通路ができるように、改造を受けています。600番台は、平成2年にワンマン工事を受けて、諸設備が追設されています。運賃箱、車外スピーカー、ワンマンの台などが設けられました。
123系の5045は、600番台と連結して走れるように、正面に貫通扉を設置、そして5145と改められました。123系の5145、601、602は、ワンマン以外にも、普通電車として運転もしており、混雑時には、2両で運転をします。貫通路があるため、富士~甲府を走ることもあったほどです。
1999年の改正では、東海道線での運用も出て、沼津発身延行として運転がされました。このときにも、123系は貫通型が用いられています。5145、601、602のうち、どれかが2両で運転をするものです。非貫通の5041~5044においては、富士~西富士宮での運用をこなしていました。
123系、非貫通と、貫通型では、運用が分かれました。クモハ123-5145においては、非貫通の運用に入って、富士~西富士宮で運転をしたことも。600番台が非貫通の運用に入ったこともあります。基本、クモハ123-5145は、貫通の運用に入り、600番台と連結して運用をしました。長距離の運用も多かったためか、2007年には、引退することとなりました。
クモハ123-5145は廃車されることとなります。5041~5044、そして600番台も引退して、廃車されることとなりました。123系は、いまとなっては思い出の電車です。
それでは、また。