こんにちわ、こおろぎです。
東海道・山陽新幹線では、100系新幹線を見かけることができました。東海道新幹線では2003年に、山陽新幹線では2012年に引退となって、いまではすべてが廃車にされてしまいましたが、100系は、2階建て車両がインパクトを与えてくれました。
16両編成のなかで、真ん中の8両と9両が二階建て車両で、8号車は食堂車、9号車はグリーン車です。食堂車は、ながめがよく、床のじゅうたんには、ニュー新幹線を表す「NS」マークがつけられ、壁には、国鉄時代の車両のエッチングも施されました。鉄道マニアが見たら喜ぶかも?という雰囲気の車両です。
9号車の2階建てグリーン車は、眺めの良い雰囲気になっていて、1階には個室が設けられています。1人用、2人用、3人用といった個室が設けられていて、楽しませてくれるのです。それに、グリーン車の個室は、のちに、100系のG編成が登場すると、4人用の個室も設置されます。かなりゆったりした雰囲気です。
100系は、1989年になると、騒音対策のために、新造時にパンタカバーが設置されていきます。2号車、4号車、6号車、10号車、12号車、14号車に、パンタカバーが装備されました。このとき、100系はX編成が7本、G編成は15本が出そろっていましたが、G16編成から、カバーが装備されるようになったのです。また、特高圧引き通し回路のケーブルヘッドが設置されています。このときはまだケーブルはつながれていません。
既存のX編成、G編成15本には、カバーがなく、特高圧引き通し回路のケーブルヘッドもなかったため、順次カバーの取り付け、ケーブルヘッドの設置も行われていきました。ケーブルヘッドの設置は、これも役に立つこととなったのです。
そして、1990年にG32編成が登場すると、室内の液晶式案内装置が、大型に変わります。大きくなったので、ニュースとかが見やすくなったわけです😆100系は、1991年に新造車のG42編成が登場すると、特高圧引き通し回路がつながれました。これによってパンタが6台であったのが、3台でも運転が可能となったのです。G編成は最終的に、1992年まで、50編成まで作られまして、そのあとは300系に譲ることとなりました。
100系は、X編成、G1~41編成においても、順次ブス引き通しを行っていき、1991年の6月には、ブス引き通しが完了します。パンタは3台となっても、ほかの車両においては、予備として、しばらくパンタはたたまれて、残置していました。X編成とG編成の、奇数の編成においては、2号車、6号車、12号車を使用、偶数編成では、4号車、10号車、14号車のパンタを使用。パンタがたたまれていても、ブス引き通ししたことによって、ユニットから電気を引き込むことができるようになったのです。
100系は、1995年に入ると、すべての編成で、2号車、6号車、12号車のパンタ使用となり、順次検査に入ってから、4号車、10号車、14号車のパンタが撤去されていくこととなりました。カバーにおいては、そのまま残置がされています。それに、当初は真っ白であったカバーは、グレーに塗り替えがされました。
300系のカバーがグレーであることと、300系のパンタが、当初3台あったのが、騒音対策で、9号車のものを撤去して、6号車、12号車のものを常に使用することとなったためか、100系においても、パンタが固定使用されることとなったのです。
100系は、ひかりで活躍する中、朝とか夜にはこだまでも運転していて、楽しませてくれましたが、97年になると、東京~名古屋、東京~新大阪で、こだまでの運転をするようになったのです。0系オンリーであったはずが、100系が運用についたことは、多くの人にびっくりを与えてしまったでしょう。その年の秋の改正で、100系のこだまが増えていき、カフェテリアにおいては、こだまでの営業は休止となってしまったのです。
それでも、ひかりで運転することもあったため、経年の浅いものが、ひかりでしばしば運転もされました。100系のX編成においては、1998年の3月の改正で、こだまで走るようになってしまい、食堂車の営業が休止になりました。X編成においては走行距離が多かったので、一部の編成はこだまで走るようになって、あとの編成は、ひかりでも運転してましたが、98年の10月の改正で、完全に食堂車営業は休止となってしまったのです。そして、こだまに完全転用。ひかりが止まることがなかった、新富士、掛川、三河安城でも、X編成に乗れるようになったわけですが、営業休止のままで食堂車が走るのは、ちょっと複雑なもの。
そして、99年に0系が引退すると、X編成も運用を離脱。フェードアウトしていく感じで、姿を消していくこととなりました。X編成は、2000年までにすべてが廃車されていき、G編成においては、2001年に入ってから徐々に姿を消していき、2003年に東海道新幹線での運転を終了。2004年にすべてが廃車されました。
2階建て新幹線の姿はなつかしい思い出です。そして、パンタ半減使用にも貢献してくれました。
それでは、また。