身延線には以前、123系という1両の電車の姿があった。

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こんにちは、こおろぎです。

身延線では、313系や、373系といった電車が走っていまして、これらはステンレス車体で、低トンネルの区間も走れるようになっており、大活躍しています。313系が登場する以前は、123系が走っていました。その123系は、1両の姿が特徴で、以前はなんと、荷物電車のクモユニ147であったのです。さらにもっと昔は、101系であったというのでびっくり。

101系は、通勤電車として登場しまして、首都圏で大活躍しました。101系は、余剰となった一部の車両は、荷物・郵便電車のクモユニ147に改造されまして、車体は新造されています。クモユニ147は、荷物輸送としても大活躍して、さらに郵便物の輸送もしていました。このクモユニ147は、おもに飯田線で走り、119系に連結して走りました。

しかし、1986年になると、その荷物輸送が廃止されまして、クモユニ147、出番がなくなっていました。その後、1987年に身延線に新型電車が投入されることとなり、クモユニ147を浜松工場で改造します。側板を撤去して、新しい側板を設置、窓を配置していくものです。そして、123系が誕生して、5両が導入されました。

車輛の番号も、クモハ123-40番台となって、41から45までが登場したわけですが、富士~西富士宮の間で頻繁に運転されて、楽しませてくれました。登場したときは、赤いおびがあり、正面には富士山のマークもありました。車体においては、ほぼ真っ白くて、良い雰囲気になっていました。123系は、富士~西富士宮で走行するだけでなく、甲府にも乗り入れもしていました。

123系は、その後1988年には2両が増備されまして、クモヤ145-600番台を改造したものが作られました。こちらには貫通扉がついていて、浜松工場で改造を受けた際に、ほろもつけられて、インパクトになりました。クモハ123-600番台となって登場して、身延線で走行をしていました。貫通扉の構造が、利便性が向上して、その後、ワンマン運転もされるようになり、ラッシュ時にはもう1両連結して走るようになりました。

1989年になると、123系は冷房改造を受けるようになり、冷房装置を2つ、そしてコンバータを設置。塗装もクリーム色に、緑とオレンジの帯に変更されて、静岡っぽい雰囲気に変わりました。ちなみに、123系の600番台も冷房装置がつきまして、こちらはコンバータはついておらず。電動発電機の容量が大きめで、冷房にも出力ができたためかコンバータは省略されました。40番台は、電気の容量があまり少なかったのか、コンバータをつけられました。

123系、冷房がついてからは、40番台は、5000番台が付け加えられて、5041~5045となりました。その後、1990年になると、ワンマン改造が行われまして、運賃箱や、整理券の発行装置も設置されるなど、設備が追加されました。さらに、123系の5045だけは、600番台と連結して走れるように、貫通扉がつきましたが、なぜ5045に貫通扉がついたかは、いまも謎のままです。ちなみに、5045は貫通扉がついたことで、5145と番号が改められました。

ちなみに、5145と、600番台は貫通となっているので、5041~5044とは運用が分かれるようになり、非貫通組は、富士~西富士宮をメインに運転していましたが、600番台と5145は、富士~西富士宮のほか、富士~甲府で運転もしていました。ほかの電車よりも、123系の貫通組は、走行距離が多めになっています。

ちなみに、123系は、1998年になると、ちょっとした改造がはじまっていき、電気連結器を装備したり、自動解結装置がついたり、さらに、運賃表が液晶式のものになったり、そして、2000年のころには、主電動機が載せ替えられました。それまでは、MT46であったのが、113系と同じMT54へと載せ替え。

主電動機が載せ替えられても、123系は引き続き、大活躍を続けてくれて、1両で走る様子は親しまれました。しかし、老朽化が進んだのか、2007年には、すべての123系が廃車にされました。そして、身延線で123系が走ったことをどれくらいの方が覚えているかが気になるところですが。

それでは、また。

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