おはようございます。こおろぎです。
かつては、東海道新幹線に100系が走っていました。この100系は、当初はパンタが6台装備されていました。ところが、1991年になるとパンタを3台使用にて運転開始。なぜなら91年に、ATき電方式の工事が完了して、これによって、100系は高圧引き通し回路の設置が行われて、パンタを電気的につなぐことによって、6台であったパンタは3台で使用が可能となったのです。
100系は、パンタが半減使用となったあとも、使わないパンタは折りたたんでいました。X編成、G編成においては、奇数編成で、2号車、6号車、12号車がパンタを使用、4号車、10号車、14号車が折り畳み。
そして、偶数編成では、4号車と、10号車、14号車のパンタを使用、2号車、6号車、12号車は折り畳み。使わないパンタは予備とすることで、走行していました。パンタはその後、95年に入ってからは、奇数編成・偶数編成とも、すべての編成が2号車、6号車、12号車で使用されることとなり、それまでの4号車と、10号車と、14号車にあったパンタは撤去されました。
なお、パンタが撤去されてからも、カバーはそのまま残っており、グレーに塗り替えがなされました。100系の2号車、6号車、12号車のパンタはずっと使用されていました。2004年に、16編成の100系はすべてが廃車されてしまうまで、100系は東海道・山陽新幹線にて活躍。
100系は、X編成はおもに東京~博多間で運用されて、晩年はこだま専用となっていました。2000年に、すべてのX編成が廃車されてなくなりました。G編成においては、東京~新大阪で使用されたり、東京~博多を走ったこともありましたが、97年にこだまの運用も入るようになり、その後は徐々にこだまの運用に。2001年から廃車が出て、2004年に、すべて廃車されてしまいました。
なお、G編成においては、一部の編成が8両編成になってJR西日本に譲渡されて、その後、4両編成や6両編成を組成するときに、先頭車改造がなされて、このときG編成も使用されたのです。先頭車の部分だけは、なんとか2012年まで活躍できたということになるでしょう。
100系が全廃、廃系列になったあとも、リニア鉄道館に1両、京都の鉄道博物館に1両、そして近畿車両で静態保存されているとのことなので、末永く保存されてほしいものです。
それでは、また。