こんにちは、こおろぎです。
かつては、東海道・山陽新幹線に、100系が走っていました。この100系は、当初はパンタを6台装備して、その後なんと3台にして運用。なぜなら、1991年に、ATき電方式というのが採用されて、パンタを特高圧引き通し回路でつなぐことができるようになり、パンタが半減使用可能となったのです。
パンタの半減使用で騒音を減らすことができるようになり、X編成とG編成においては、X1や、X3といった奇数編成は、2、6、12号車のパンタを立てて、偶数編成なら、4、10、14号車のパンタを上げて走行。G編成においても、例えば、G50編成なら、4、10、14号車を立てて使用したものです。
しかし、パンタのことにおいては、1995年になると変化が起きるのです。300系で、9号車のパンタを省略した編成が登場。当初、300系は、6、9、12号車にパンタがあり、下りのときは6号車をたたみ、上りでは12号車をたたんで走行。ところが、大きなパンタカバーが乗り心地に悪影響を与えていることがわかり、このときに高圧ジョイントも開発されていることもあって、既存の編成が検査に入るとき、9号車のパンタを、カバーごと撤去する工事を行い、高圧ジョイントを取り付け、パンタは6、12号車を使用することとなったもの。これにより、6、12号車はカバーの形を変更。
300系のパンタが固定使用となったことで、100系においても、使用するパンタがすべての編成で、2、6、12号車の使用となり、1995年から、4、10、14号車のパンタを順次撤去。300系のようにカバーは撤去されることはなく、グレーに塗り替えがされました。当初は白いカバーであったのが、汚れが目立たないようにと、カバーは300系と同じようにグレーに塗り替えです。
100系は、X編成とG編成、すべてが2号車、6号車、12号車でパンタ使用となり、4号車、10号車、14号車のパンタが撤去になっても、ブス引き通しがされているため、ほかの電動車から給電ができるようになったのです。
新幹線は、T=単巻変圧器によってレールに流れる電流の範囲を限定して、変電所から電圧を高く取れるようになったのです。電圧が高くなると、架線にどれくらい電流が流れているんでしょうか。すごいものです。ブースターセクションがなくなって、変電所から電圧が高く取れるということに、新幹線の車輌面でも変化がおきたのです。
集電装置を半減して走れるように、100系では、特高圧を引き通すケーブルヘッドを装備しており、特高圧引き通し線によって集電装置を3個にして走れるようになりました。集電装置の間に母線をつないで電気的につないでしまえば、集電装置を半減しても走れるので、100系なら3個、300系は2個で走れるようになったのです。
100系は、最終的に4、10、14号車のパンタを撤去しましたが、単巻変圧器を装備したことで変電所から電圧が取れるため、パンタに母線をつないで、電気的につなぐことで、パンタが3個でも走れるのです。見事なものです。300系ですと、6号車と12号車のみで走行。700系においては、シングルアームとなったことで、300系もシングルアーム改造がなされました。
既存のパンタをカバーごと撤去して、シングルアームに載せ替え。それまでの屋根には、パンタカバーのあとが残っているものの、シングルアームになって、見事な姿になったものです。N700系、N700A、N700Sもシングルアームのため、パンタ載せ替えをすることはなく、運用できました。見事なものです。
それでは、また。