東海道線や身延線の115系、比較的早い廃車であった。

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おはようございます。こおろぎです。

かつて、身延線や東海道線、御殿場線に115系が走っていました。その115系は、2000番台を名乗っていて、シートピッチの改善された車両です。割とゆったりした感じのシートで、乗り心地も向上しています。しかし、予算の関係もあってか、冷房は準備工事となっていました。

そのため、屋根の部分には天がいがかぶせられていて、車内の換気口のぶぶんは、板が貼られています。冷房を取り付けるときに、板が外せるようになっているのです。JRになってから、冷房改造が行われましたが、AU75を付けるどころか、なんと分散型の冷房がつけられています。

冷房がなかった関係で、扇風機が取り付けられていて、分散冷房の取り付けで、扇風機が一部撤去されましたが、7台あったうち、5台が残されています。扇風機はスイッチ式となっていましたが、撤去した部分においては、壁と同じ色の化粧板で、めくらカバーがされました。

冷房がついたことで、車内環境も涼しくなり、115系は、おもに甲府~富士を走行、時々東海道線で静岡まで行ったり。それに、御殿場線にも時々乗り入れました。115系は、当初えんじ色であったものの、1989年になると、車体のカラーが湘南色に塗り替えがされました。

115系は、1999年になると、313系が導入されたこともあって、身延線と御殿場線で運用するようになりました。身延線で数日走った後に、御殿場線に数日走り、そして再び身延線で…という運用です。その運用をずっと続けていました。

2006年になると、313系の3両編成が導入されて、115系は運用が減っていきます。そして、廃車されていきました。115系の2000番台は、昭和56年に製造されて、13本が導入されましたが、比較的寿命は早かったようです。なお、115系は、B1~13編成となっていて、B1~2が東急車両で、B3が日本車両で、B4~6は川崎重工、B7~11は近畿車両、B12~13は日立で作られています。なお、行先表示においては、最初は準備工事のままであったものの、のちにクモハ115と、モハ114に設置がされました。また、B10~12編成は、すべて行先表示幕がついています。

身延線の115系は、2008年までにはすべてが廃車されてしまい、いまは何もありません。

それでは、また。

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