身延線の123系、貫通型があって、5145、601、602は長距離の運転が多めです。

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こんにちは、こおろぎです。

身延線には、かつて123系が走っていましたが、その123系は、今では廃車されて取り壊されて、現存していません。7両があって、5041~5044は、103系のようなマスクで、非貫通で、富士~西富士宮をよくワンマン運転で走っていました。

いっぽう、5145、601、602は、正面に貫通扉がついていて、富士~西富士宮を走ったり、富士~甲府を走ったときもあります。1999年に313系が導入されると、身延までの運転となり、東海道線での運用が生じて、沼津から身延まで走ったことがあります。

貫通型の123系は、連結した時に通り抜けができることもあってか、長距離を走る運用にまわることも多めで、富士~甲府を毎日のように走ったときがあります。123系は、2両でワンマン運転もしており、その時は貫通型が積極的に運用についていました。

601、602は、貫通扉がある、クモヤ145を改造したため、最初から貫通扉がありますが、幌枠はなかったため、改造時にしっかりと幌枠が設けられました。5145においては、最初非貫通の45であったものの、冷房改造で5045に改められて、さらに600番台と連結してワンマン運転ができるようにと、正面が貫通化されて、5145となりました。もとは非貫通の5045を改造したので、前面窓にわずかに非貫通時代の名残も残っています。

123系は、5145、601、602の運用距離の調整で、増結、切り離しもこまめに行いましたが、99年の改正からは、切り離すことがほとんどなくなり、半固定運用も多めになりました。それでも、ある程度走った場合は、しっかりと差し替えも行っています。

123系は、98年に連結器を取り替えたり、99年には、ワンマン設備を取り替えたり、さらに2000年には、主電動機がMT46であったのを、MT54へと載せ替えがされました。123系は、富士~西富士宮とか、身延~沼津を走ったりしましたが、老朽化もあってか、2007年に引退となり、全車両が廃車されました。

いまとなっては、123系も思い出の車両です。

それでは、また。

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