こんにちわ。こおろぎです。
東海道線の静岡地区では、かつては113系が走っていました。そのなかに、3両編成もあって、全部で16編成が在籍していました。これには、ちょっとした秘密があって、もともと、6両編成であったものを、3両編成を2本組成することとして、輸送のフリークエンシー化をはかったものです。
113系の3両編成は、東京向きの先頭車が必ずクモハ113となるようにされていて、下りにはクハ111を連結。分割時に、車体の後ろにあったものは先頭車化するだけで組成できましたが、編成の前半にあったものは、クモハ113を作るとともに、東京向きであったクハ111は、方転改造がなされました。
方向転換されたクハ111は、2200番台とされましたが、種車はほとんどがトイレなしであったものの、その中の2205だけ、元の車がクハ111ー2165と、トイレ付きであったため、トイレがついている数少ない種車です。
モハ113においては、種車はモハ113 2000番台であり、それを名古屋工場にて、改造したものです。改造では、モハ113の前位側の車体を台枠ごと切断するもので、そして、あらかじめ新造した運転台ユニットを、溶接して取り付けるものです。改造においては、配線の工事も行ったりと、かなりの大工事になったかもしれません。完成したとき、運転台後ろのロングシートは、ちょっと厚みがありますが、そこに、配線がおさめられているのです。
モハ113を先頭車改造して、クモハ113としたときは、運転台付近をクハ111と同じような姿にするために、それなりに苦労もあったかもしれません。全部で、16両も改造しましたが、見事に復旧したのは、すごいことです。113系の3両編成は、最後の頃は、基本的に熱海~豊橋を走ってましたが、いっとき、御殿場線の沼津~御殿場を走り、身延線では、富士~西富士宮を走ったこともあります。
クモハ113が登場したころは、大垣地区での配置であったため、名古屋地区をメインに走っていましたが、211系が登場すると、113系は静岡地区に転属して、走るようになったのです。そのためか、米原から熱海までのロングランをしたこともあるほどです。
113系は、トイレあり編成と、トイレなしの編成があったため、そこで運用も分かれていて、トイレつきは割と名古屋地区で運転されたこともありました。99年になると、おもに熱海~豊橋がメインとなったわけです。その後はトイレ付、トイレなしと一括で運用されていました。
そして、2007年にはすべての車両が運用離脱となり、廃車されてしまいました。
いまとなっては、113系は思い出です。それでは、また。