300系は、かつて9号車にパンタがあった。

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こんにちは、こおろぎです。

かつて東海道新幹線に、300系が走っていました。その300系は、6号車と、12号車にパンタを取り付けて走っていましたが、300系は以前は9号車にパンタがありました。大きなパンタカバーがあって、カバーは8号車にもつけていました。

300系の9号車は、パンタは常に上げて使用されていましたが、1995年になると、300系にJ30編成が出てきて、9号車の集電装置が省略されて竣工しました。このとき9号車には高圧ジョイントが装備されています。そして既存のJ1~29編成にも、変化が訪れていきます。

J1~29編成では6,9,12号車にあったパンタ、9号車のものが撤去されて、6,12号車に固定使用するようになりました。9号車の集電装置とカバー、8号車のカバーを撤去した部分には高圧ジョイントが取り付けられました。撤去した部分には、カバーや集電装置のあった名残が歯型のようにのこっています。9号車の部分がなくなったことで、6,12号車の形状が変更されました。風の抵抗を受けないようにカバーの形が弧のようになっています。

300系はJ30編成が登場してからも、最後のJ61編成まで作られていきましたが、平成11年に700系が登場すると、集電装置を見直すようになりました。700系はシングルアーム式の集電装置となって、横には風きりの碍子も取り付けられました。この700系が登場したとき、300系のなかでJ59編成は試験的にシングルアーム式の集電装置や風きり碍子がつき、試験運転を重ねていきました。

そして、300系も全部の編成に対し、それまでの大型カバーつきのひし形集電装置から、シングルアーム式の集電装置と、風きり碍子を取り付ける改造工事が始まりました。改造を行った編成には、パンタがそっくり取替えられているため、カバーやパンタのあとが歯型のように残っています。なんか、集電装置を取替えしたことで、歯型のようにあとが残ってしまうというのも、みょうちきりんな気がします。その部分には、「ここには集電装置やカバーがあったぞー」といっているようです。

また、特別高圧引き通しケーブルヘッドも、4,5号車、8,9号車、12,13号車のみとなり、それ以外は直ジョイント化されました。ちなみにJ58~61については新造したときから直ジョイント化されています。以前はケーブルヘッドもほとんど全部についていましたが。

JR西日本にも300系があり、9号車のパンタ撤去やシングルアーム改造を同じように受けていきました。それでも9号車のパンタを撤去したときは、あまり目立たないように、歯型の部分を溶接したようですが。それでも跡というのは残っちゃうもんです。金属ではどうしても目立っちゃうものでしょうか。

改造工事を最も多く受けているのが、試作編成のJ1編成でしょう。なぜなら、当初5個あった集電装置を2個撤去して3個に、特高圧引き通しケーブルヘッドも変更したので。そのあと、9号車の集電装置もカバーごと撤去して、6,12号車のパンタカバーの形状も変更されました。そして、シングルアーム式の集電装置へと取り替える改造も受けているからです。集電装置と関係する部分、少なくとも3回も改造を受けていることになります。

その300系もシングルアームになってからは、目だった改造はされることなく、2012年まで活躍を続けて、700系とN700系にバトンタッチしました。実は700系も試作車のC1編成は当初パンタカバーがワイングラス型をしていましたが、量産車の登場で新しい姿になりました。カバーのかたちが変わったことで、700系のC1編成もカバーのあとが歯型のように残っちゃっていますが。現在では、700系のC1編成も廃車になってしまったようです。

300系に700系も廃車となってしまい、いまでは思い出の新幹線です。

それでは、また。

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