おはようございます。こおろぎです。
かつて、身延線には123系が走っていました。その123系は、最初は101系として作られ、通勤電車として活躍しました。その後、クモユニ147に改造されて、飯田線にて、郵便・荷物輸送の電車として活躍します。119系に連結されて、運用についていました。
しかし、1986年の秋に、国鉄による、荷物、郵便輸送が廃止となり、クモユニ147の運用がなくなり、休車となっていました。1987年に、身延線で、新性能の電車が投入されることが決まって、そのクモユニ147を浜松工場で改造、123系へと改められることとなります。
クモユニ147は、ぜんぶで5両がクモハ123へと改造されて、身延線で走るようになりました。車体の側面は、種車は大きな扉や小さな窓もついていましたが、改造後には、ユニット窓が7つ設置された姿に変わり、活躍をつづけました。
身延線では、富士~西富士宮を頻繁に走りましたが、甲府~鰍沢口を走ったこともあります。その後、123系は、昭和63年にも登場して、種車がクモハ145 600番台であったのを改造したものです。2両が浜松工場で改造されて、身延線で走るようになったものです。
クモヤ145は、車内に整流装置などがありましたが、それを床下に移設して、客室に改造したものです。クモハ123になったあとも、パンタは2つ取り付けられていて、身延線を走りました。その後、分散型の冷房装置が取り付けられて、活躍をつづけました。
また、クモハ123 600番台は、正面に貫通扉が設置されていて、幌枠は、新たに設けられました。2両で連結した時に、幌でつなげることができるようにしっかりと設けられました。また、123系は、クモハ123 40番台が5両ありますが、その後、浜松工場で、冷房が設置されて、さらに、コンバーターも設置されて、5040番台に改められています。
冷房改造によって、5041~5045となって、運転をしていますが、そのなかの5045は、1990年にワンマン改造を受けた際に、貫通扉が設置され、5145へと改められました。これは、600番台もワンマン改造を受けており、600番台と連結して走れるようにするため。
また、クモハ123 5041~5044においては貫通化をせず、ワンマン改造のみで済ませています。運賃表示器、運賃箱、整理券発行機の設置、ドア横にサボ入れ、スピーカー設置、運転台にミラー、そして運転台付近にワンマンの表示器が設置されて、ワンマン工事を行いました。
123系は、その後は、98年に連結器の取り替えがなされて、電気連結器つきに変わり、99年には、放送設備も変化しており、そして、2000年には、主電動機がMT46であったのを、MT54へと取替がされています。
身延線で、ひたすら運転を続けていましたが、その後2007年に廃車されて、いまは残っていません。いまとなっては、思い出の車両です。それでは、また。
