100系新幹線は、パンタを半減使用するきっかけになった新幹線です!

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おはようございます。こおろぎです。

かつて、東海道・山陽新幹線には、100系新幹線が走っていました。100系は、2階建て新幹線として1985年にデビューしまして、1986年に大きな窓の量産車が登場。1992年までに、1056両が出そろい、にぎやかになりました。

この100系は、当初は6台のパンタを装備しまして、夜になると、スパークがきれいに光りました。ところが、新幹線はその後、騒音公害も騒がれるようになってしまい、そこで騒音対策もとるようになりました。パンタの周りに、パンタカバーを設置するもので、平成元年から取り付けが開始されていきます。

100系新幹線は、平成元年に竣工したものにおいては、最初からカバーも取り付けがなされました。それに、東海道新幹線では、パンタを半減使用できるように、準備工事も進められていき、編成の端っこに、特高圧引き通しケーブルヘッドが設置されました。

このケーブルヘッドがパンタを半減できる仕組みのもととなり、1991年に東海道新幹線ではATき電方式となり、100系新幹線は、パンタを3台で運転できるようになったのです。100系のパンタは、2、6、12号車はパンタを挙げていますが、車両によっては、4、10、14号車を挙げたものも。

その後、100系はパンタは2、6、12号車のみの使用となって、4、10、14号車はパンタが撤去。カバーは残されていて、当初は白かったカバーがグレーに塗り替えられました。100系は、パンタが3台になったことで半減使用ができるきっかけにもなったとされています。

100系でパンタのない、4、10、14号車は、どうやって給電しているかというと、パンタのある2号車ユニットや、6号車ユニット、12号車のユニットから電気を受け取っている感じになっています。100系は2003年まで活躍してくれまして、その翌年にはすべての車両は廃車されてしまいましたが…リニア・鉄道館には、100系の量産車が保管されています。大きな窓の100系は貴重です。

それでは、また。

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