おはようございます。こおろぎです。
かつては、東海道新幹線に、100系が走っていました。その100系は当初、パンタが6つありましたが、その100系は、中間に2階建て車両を連結していて、最初に登場したX編成は、2階建て食堂車、2階建てグリーン車を連結していて、かなり圧巻です。のちに、G編成が登場すると、食堂車の部分が、2階はグリーン車の、1階はカフェテリアという構造の車両に変わりました。
食堂車の編成は7本までとなって、東京~博多を直通する数はそれほど多いわけではないため、7本までとなりましたが、その後JR西日本でも、グランドひかりが登場すると、なんと9本も作られ、2階建て車両は4両に拡大。8号車に食堂車があり、7号車、9号車、10号車は、2階にグリーン車があり、1階には普通席が設けられています。
100系は、89年に入ると、パンタの半減準備工事のための、特高圧引き通し回路のケーブルヘッドが設けられました。当初はケーブルはつながれていなかったものの、1991年に、ATき電方式へと切り替えがなされ、100系新幹線においては、パンタを3台にして運転することが可能となったのです。
ATき電方式となったことで、100系は、特高圧引き通し回路が設けられて、ケーブルでつながれて、6台あったパンタは、3台にして運行することが可能となりました。当時は、使わないパンタをたたんで、運転をしていましたが、X編成やG編成で、奇数編成は、2号車、6号車、12号車のを使用。偶数編成では、4号車、10号車、14号車のパンタを使用。
その後、92年に300系が登場して、その300系においては、6号車、9号車、12号車にパンタが設けられ、博多方面に行くときは、9号車、12号車のパンタが使用され、東京行のときは、6号車、9号車のパンタが使用されました。しかし、その後、騒音対策の研究が進められる中で、9号車がかなりゆれることがわかり、パンタは6号車と、12号車で固定使用することとなり、9号車のパンタとカバーが撤去されました。その撤去した部分には、大型のケーブルヘッドが設けられました。
こうした結果が100系にも反映されたのか、新幹線のパンタは、すべての編成で、2号車、6号車、12号車の固定使用となり、4号車、10号車、14号車のパンタが撤去されました。同時に、カバーの色は白かったのが、グレーに塗り替えがされています。なお、100系は、パンタは撤去されても、カバーは残っています。
そして、最後までその姿で走り続け、2003年に、引退していきました。100系は、現在は、試作車の食堂車と、X2編成の大窓の先頭車が保存されています。レアな大きな窓の先頭車です。なお、100系は、幸いにも、リニア鉄道館に1両、京都鉄道博物館にも1両保管されています。
新幹線の100系は、東海道新幹線は2003年に、山陽新幹線では2012年に引退して、すべて廃車されてしまったため、廃系列となってしまいましたが、静態保存されている車両は、末永く保管されてほしいものです。
それでは、また。
