静岡地区の113系には3両編成があった。これにはちょっとしたひみつも。

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おはようございます。こおろぎです。

東海道線には、かつて113系が走っていましたが、電車が多い時は、4両編成のL編成は19本、東京にも乗り入れるT編成があったりと、そろっていました。その中には、3両編成もあって、その3両編成は、2000番台でそろえられています。しかし、この3両編成は、もとは6両編成であったのです。

その6両編成をどうしたかというと、クハ111、モハ113、モハ112、モハ113、モハ112、クハ111というふうに組成がされていて、これを短編成化することで、輸送の向上を目指すものです。6両の車両を3両に分割して、モハ113を改造するというもの。

モハ113の改造は名古屋工場で実施され、前位側の車体を台枠ごと切断するもので、その切断した部分に、あらかじめ新造した運転台のユニットを設置。溶接したうえで、既存車体とつなげます。かなりの大改造となったらしく、運転台のうしろのロングシートは、普通よりも厚めとなっていて、そこには配線がおさめられているのです。

先頭車改造をしたことによって、モハ113から、クモハ113と改められました。そして、3両編成が組成されるわけですが、残り半分の3両も、先頭車改造を実施します。同じように、モハ113の車体、前位側を切断して、運転台をつけて、クモハ113ができるわけですが、このとき、クハが東京向きとなっているので、それを博多向きにと方向転換する改造が行われます。

クハ111、方向転換する際に、車間わたりの変更、引き通し回路の変更も行われて、下り向きで走れるようになりました。そして、3両編成が組成されたのです。3両と身軽になったことで、おもに熱海~豊橋の間を走行。しかも、3両編成は、99年の改正までは、米原発熱海行というのも設けられていました。

1999年の改正からは、東海道線のみの運用となったものの、混雑時は4両と連結したり、もしくは3両編成と連結して、走行を続けていました。113系は東海道線の輸送に大活躍、2000年ごろには、延命工事ともに車内をリニューアル、床をベージュ色に貼り替え、室内の壁も、白い化粧板に貼り替え。

その113系も、長距離の走行で老朽化が見られ始めたのか、2007年にはすべてが廃車にされていき、西浜松に送られ、その後少しずつ浜松工場に入って、取り壊されていきました。113系はその後、2008年には完全になくなりました。

113系は、身延線でも運転した時期があって、3両を2本つないだ6両編成が、西富士宮発熱海行として運転したこともあります。混雑時のラッシュを抑制することと、乗りかえしなくてもすむようにと輸送が行われました。その後、熱海行の電車は、115系に取り替えられて、3両と3両をつないだ6両で走ったのです。

しかし、その115系がなくなると、211系に取り替えに。混雑時のラッシュ対策にと、6両で運転を続けてきましたが、その後、2両と3両の5両編成に変わり、これもずっと運用を続けてきましたが、2024年、315系の導入がされることとなってから、313系の2両と、211系の2両の4両編成に切り替わり。だんだん短編成が進んでいるような…

113系は、今となっては思い出の車両。

それでは、また。

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