身延線には、かつて123系があった。

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こんにちは、こおろぎです。

身延線には、かつて123系が走っていました。123系というのは、1両編成の電車で、富士~西富士宮をおもに走ったのです。123系は、富士~西富士宮を約20分で結び、頻繁に運用されていました。ワンマン運転も実施されたほどです。

123系は、以前は荷物電車のクモユニ147として運転されて、飯田線で走っていました。国鉄時代は、郵便、荷物を輸送して、飯田線を走行したものです。しかし、1986年の11月の改正で、荷物輸送が廃止となり、クモユニ147、出番がなくなっていました。

しかし、比較的状態も良かったためか、クモユニ147は、浜松工場で改造を受けて、クモハ123 40番台として身延線で走るようになったのです。車体は白く、えんじ色のおびも巻かれて、あざやかなカラーになりました。正面には、富士山を模した塗装もされて、目を引きました。

123系は、富士~甲府を走ったり、甲府~鰍沢口を走行したときもあります。123系は、1両で身軽な運用をこなしていましたが、1989年には、冷房改造をおこない、クモハ123 5040番台になりました。123系の40番台は、電動発電機の出力が少なめであるため、冷房のための電源を確保するために、コンバータも取り付けられています。

そして、1990年になると、ワンマン改造も行い、運賃箱や、整理券発行機、ミラー、ワンマン表示器、車外スピーカーなどが設置されて、ワンマンバスらしい雰囲気になりました。1990年以降は、ワンマン運転が行われるようになって、富士~西富士宮を頻繁に移動するようになります。

一方、123系のクモハ123 5045は、正面を貫通化する工事が行われて、クモハ123 5145となりました。これには、ちょっとした理由があり、123系は、昭和63年に600番台が登場したため。クモヤ145 600番台を改造して、クモハ123 600番台となりましたが、種車の関係から、貫通式となったのです。

そこで、クモハ123 600番台と連結して、貫通路を通れるように対応をしたものです。123系は、2両でのワンマン運転をすることもあるため、そこからの流れで、クモハ123 5145が登場したのです。非貫通式は、富士~西富士宮がメインに、貫通式のほうは富士~甲府も走ったりしていました。

123系は、ワンマン運転をやりつつ、2007年に廃車になってしまうまで、元気に活躍してくれたものです。

それでは、また。

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