東海道新幹線で走った0系、当初大きな窓をしていました。なぜ小窓になったのでしょう?

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おはようございます。こおろぎです。

1964年に、東海道新幹線が開通しました。そして、今年でなんと、60周年となりました!新幹線が開通して、60年になり、しかも無事故であるというのは、すてきなことです。当時は新幹線は0系のみで、1985年に新型車が登場するまで、その主力の座を守ってきました。

0系は、1986年に製造を終了するまで、22年間に3216両が作られましたが、長いこと作られていくなかで、外観に変化も起きています。当初は、0系は大きな窓をしていて、景色の展望を楽しめたものです。しかも、窓の幅は1460ミリと大きめ。しかし…

新幹線の線路には、バラストが敷き詰めてあって、このバラストが、新幹線の風圧によって跳ねあげられて、石が窓ガラスに当たり、破損する事故が頻発しました。ガラスにひびが入り、その影響でしばしばガラスを変えなければならないという問題もあったのです。

それによって、1976年に製造した新幹線は、窓が小型化されて、座席1列に1つの窓というものに変わります。しかし、窓の幅が630ミリとなったため、かなり展望性が悪くなってしまったのです。窓側に座らないと、景色も見ることができないというものです。それに、小窓となったことで、新幹線の雰囲気も大きく変化しています。なお、小窓は1000番台となっているのが特徴です。

そして、1981年になると、小窓でありつつも、630ミリであった窓は720ミリに拡大され、改良がされました。2000番台となって登場します。シートピッチも改善が加えられ、さらに窓枠も強化プラスチックにと変化が加えられます。

新幹線は、0系は大きな窓であったのが、小窓になったのも、バラストによる影響があって、そこからのガラスの取り替えが手間がかかったこともあったため。そして、小窓へと取り替えがされました。そして、1985年になると、100系が登場するんですが、こちらも大きな変化。

試作車として登場した時は、小窓であったのが、その100系、量産がされると、なんと大きな窓へと変化します。しかも、ガラスの強度は上がっています。0系とは逆の順番なので、ちょっと不思議な光景です。100系の登場は、大きな窓の復活を果たすこととなりました。

100系は、300系とか、500系と比べて、最高速度は上がらなかったものの、快適性では1番かもしれません。300系は、かなり速度が速いものの、割と揺れも多かったのだとか。100系は社内の天井も高く、居住性は良かったので、乗り心地は快適であったものの、東海道新幹線からは2003年に引退することとなりました。そして、2012年に100系は西日本からも引退となり、廃系列となっていきました。

なお、0系においても、99年に東海道新幹線から引退して、100系や300系にその座を譲りました。西日本での活躍は続き、2008年に運転を終了。0系、100系はその姿から、新幹線らしさを出してくれていました。

0系においては、窓の大きさが変わったのも印象深い新幹線です。

それでは、また。

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