かつて静岡には、クハ111 123という、数字が並ぶ、不思議な車両があった。

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こんにちは、こおろぎです。クハ111 123という車輌について解説します。クハ111 123 ときいて、何を思い浮かべるでしょうか。

日本車両で昭和41年に竣工した113系の先頭車であった

クハ111 123は、113系電車の先頭車で、静岡地区に配置されました。この車輌が竣工したのは、昭和41年と、かなり年季の入っている車両です。電車に乗って、シルバーシートの近くにすわったとき、通り道の壁に製造銘板がとりつけてあり、それに「日本車輌・昭和41年」と書いてありました。見ていて「何十年走っているんだろうなあ」って感じました。

新しい113系と昔の113系を見比べてみると、おもに3点の特徴が見られます。新しい113系は、ライトが小型のシールドビームで、窓サッシも出隅が角張っていて、ユニットサッシとして取り付けられているほか、通風器は押し込み式になっています。

クハ111 123は、大型ライトを装備して、通風器はグローブ式、窓の出隅は丸くなっています。この3点が、古い113系に見られる特徴です。それに冷房装置はついておらず、扇風機が6個あって、車内スピーカーや保安灯も天井真ん中についていました。

おもに静岡地区の113系の4両編成に連結されて活躍、熱海~豊橋の間を走りました。JRになってからは静岡に引き継がれましたが、当時、冷房がある・ないの車輌が入り混じっていました。昭和63年には、冷房のない車輌に冷房を取り付ける工事が始まりました。クハ111 123もその一つで、浜松工場で冷房を取り付ける工事を行いました。

冷房を取り付ける際、全般的な修繕工事も行われているようです。

車内を観察した限りでは、床が貼りなおされてきれいになっていて、座席のけりこみ板はステンレス板になっていました。それまでのけりこみ板は鋼製の灰色塗装です。室内の化粧板も、薄緑なのですが新品のような感じになっていました。出入り口扉も、内側部分がステンレスになっていました。それまでは内側部分は緑の塗装になっていましたから。天井も、真っ白く塗りなおされていました。屋根も塗り屋根化されて、雨どいのほうまで塗り屋根化されているのが特徴です。

それで、冷房装置は、分散式のインバータークーラー、C-AU711Cを取り付けてあり、取り付けの際、通風器を撤去せずにすんだほか、室内のほうは、扇風機も全部残っていて、スピーカーや保安灯もその位置についていました。蛍光灯は冷房ダクトに取り付けられました。

在来の冷房改造では、集中式のAU75冷房装置を電車の真ん中に取り付けて、車内の扇風機もはずされ、運転台後ろに冷房制御盤を設置して、運転台後ろの窓をふさぎ、先頭にあった箱型の通風器がグローブ式になおされましたが、JRになってからは冷房のつけ方も変更になり、この分散型冷房が113系の非冷房車に取り付けられていきました。箱型の通風器もそのまま生かされました。運転台後ろの窓はそのまま生かされました。

東海道線では静岡~豊橋間を中心に走りましたが、平成11年に大部分の車輌が老朽化のため淘汰されてしまいましたが、123は車体修繕工事がしてあったためか、何とか残りました。引き続き熱海~豊橋の間を中心に走りましたが、平成13年に運用を離れることになり、その後は浜松工場に廃車回送されてしまいました。

浜松工場は新幹線の車輌を全般検査するのですが、古くなった電車を取り壊す工事もしています。運用のなくなった123は浜松工場で取り壊されてしまい、35年の活躍が終了しました。そして、クハ111 123はなくなってしまったのです。

このクハ111 123も、数少ない大型ライトで、数字のならびかたも「123」とおもしろいです。クハ111 123、これも思い出の車輌の一つです。最近では、廃車になった電車について調べてみると、どうも重機で解体されているらしく、東日本では長野県の車両センターで解体がされているのだそう。

しかも、解体しているのは長野県の会社で、浜松工場に回送された電車も、長野県の会社が解体しているのだとか。211系にしても、どうなっていくか、気になるところですが。それでは、また。

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